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書論「この希有なる日本語を守りたい」

書論「この希有なる日本語を守りたい」

(この書論は、小説家であり名コラムニストでもあった勝谷誠彦氏の後継メルマガ「勝谷誠彦たちの××な日々」に掲載されたものです。〈2020.7.9号掲載分〉) 

 その1  
                  
 話し言葉としての日本語の特徴について、日本水フォーラム代表理事の竹村公太郎博士が大変興味深い考察をされていますので、少し長くなりますが引用させていただきます。

 「約30年前の昭和48年、当時の東京医科歯科大学の角田忠信教授が『日本語の特徴』という研究発表を行った。
 その後、角田教授は、日本人の脳を西欧人の脳と比較して、著しい相違があることを次々と実証していった。それらの集大成が、「日本人の脳」(大修館書店‘78)である。

 『西欧の言語は[子音]が優性であるのに対し、日本人の言語は[母音]が優性する。
 さらに西欧人は、自然界の虫の音を[雑音]として右脳で処理している。ギャーギャー泣いたりワーワー叫んだり怒鳴ったりする人の感情音も、[雑音]として右脳で処理されている。つまり西欧人は、子音を中心とした言語と計算を左脳で扱っている。
 ところが日本人は異なる。虫の音や人の感情音声を、普通の言語と同じ左脳で処理している。』

 西欧人の左脳には、言語と計算しか入っていない。そのため西欧人の論理は、言語と計算で構築されていく。
 一方、日本人は言語だけでなく虫の音も人の感情音声も左脳が司っている。そのため日本人は、自然情緒や人間感情も組み込んで論理を構築していく

 ―中略―

 なおこれは遺伝子の問題ではない。生まれ育った環境によると、角田教授は実証した。

 『アメリカで生まれ育った日本人の脳は、西欧人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音や人の感情音声は、雑音として右脳で処理されていた。
 逆に、日本で生まれ育ったアメリカ人は、日本人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音も人の感情音声も、言語と同じ左脳で処理されていた。』

 角田先生はその後、日本人と同じ左右の脳の機能分担をする民族を探し廻っていった。つまり、母音優性の言語をしゃべり、左脳で虫の音や人の感情音声を処理している民族を探した。

 その結果、隣の中国も、台湾も、朝鮮半島の人々も、東南アジアの人々も全て西欧人と同じパターンであった。文法が日本語と似ている民族も、やはり虫の音、人の感情音声は雑音として右脳で処理されていた。
 数千年間、地球上で日本語は孤独な存在であった。

 しかし、遂に角田教授は、同じ母音が優性で、虫の音や人の感情を左脳で処理している人々を見つけた。
 南海に浮かぶポリネシア諸島の『トンガ』と『サモア』であった。
 日本語はやっと孤立をまぬがれた。

 角田先生の研究は、ここで終わっている。しかし、この角田先生の研究をもとに推論を重ねていく価値はある。その先には、日本人のアイデンティティ―につながっていく。

 ―中略―

 何万年、何千年の人類の歴史で、母音、子音の発声差に関する化石の証拠など残されていない。そのため推定するしかない。逆に考えると、自由に仮説を立てて議論できる場となる。私も自由に仮説を展開していく。

 人類が言語を使用した初期、大自然のなかで危険を知らせたり、獲物を追い詰める連絡を取り合う時は、大声で叫んだであろう。また猛獣に気が付かれないよう、暗闇の中で合図を交わす時に、虫や動物の音を聞きながら、その音にまぎれてそっと合図を交わしたであろう。
 初期人類にとって虫の音、動物の鳴き声は、極めて重要な音情報であった。そのため、人が話す言語と自然界の音は、密接不可分な関係を持ち、それらはすべて同じ左脳で処理されていたと仮定する。
 生物の進化は、全て単純なシステムから次第に複雑化していく。この類推から、言語も単純な母音から、複雑な子音言語に変化していくと考えられる。
 この推定から、日本人とトンガ、サモア人は、人類の発声の進化の源流に位置していると仮定できる。

 紀元前、人類は文明を創りだした。文明とは、人間が集まり、インフラを造り、様々な活動を行う社会である。そして、文明は必ず都市を誕生させた。
 メソポタミヤ文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明などすべての古代文明で都市が誕生した。都市では自然は排除された。何しろ自然は制御できない。
 『人間は予測し、計画し、制御するのが大好きだ。(養老孟子)』
 だから予測できないものが大嫌いだ。計画できないものが大嫌いだ。制御できないものが大嫌いだ。予測できず、計画できず、制御できないもの。それが自然である。人間は自然が嫌いなのだ。
 人間が造る都市は、予測され、計画され、制御された空間でなくてはならない。ゴキブリやネズミは自然の生物である。 
 しかし、レストランでゴキブリやネズミが走り回るのは許されない。レストランでは自然を排除し、完全に制御されていなければならない。それが都市である。
 人間は都市から自然を排除していった。都市の中で自然の木や生物があっても、それは制御された疑似自然である。都市では、自然界の音は情報として価値を失っていった。自然の中で生きていた時に重要だった虫の音、鳥のさえずり、動物の鳴き声などは、計画し、制御する論理の左脳からいつか追い出される運命にあった。

その2 
                     
  前回は、日本語の音声学的特徴として

 「西欧の言語は[子音]が優性であるのに対し、日本人の言語は[母音]が優性する。さらに西欧人は、自然界の虫の音を[雑音]として右脳で処理している。ギャーギャー泣いたりワーワー叫んだり怒鳴ったりする人の感情音も、[雑音]として右脳で処理されている。ところが日本人は虫の音や人の感情音声を、普通の言語と同じ左脳で処理している。」

 という角田忠信教授の説を紹介しました。

 そして、私見として「自然界の虫、鳥、動物そして人間の感情音を左脳に収納している日本語だからこそ、あの流麗な仮名文字や和様書が生まれたとも言えるのではないか」ということを申し上げました。
 そのことについて、少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 日本の書道文化は飛鳥時代、仏教の伝来とともにもたらされた写経に始まり、しばらくの間は中国の書を模倣する形で学ばれていましたが、平安時代に入ると大きな転換を迎えることになります。
 背景に「仮名文字の発明」という文化的大事業があったことは申し上げるまでもありませんが、小野道風や藤原行成の書を見ますと、意識的に中国書と完全に決別するかのような変化が感じられます。

 書道史家であり書家でもある石川九楊氏はその経緯についてについて次のように述べておられます。

 「和様の書とは、一般に考えられているように、日本風の書きぶりを持つ漢字(中国文字)ではなく、骨格は漢字(中国文字)を借りているものの、実体的には、もはや中国文字に後戻りすることのない非可逆性の、中国文字ではあり得ない日本文字-日本語そのものであるところの漢字-にほかなならい。
 三蹟の時代に、もはや中国語ではありえない漢語と和語からなる日本語は完全に誕生したのである」(「書の宇宙」)

 この和様書が江戸時代の公用書体である「お家流」に引継がれていくわけですが、その特徴は何といっても、その柔らかな線質にあります。

 ちなみに「泉」という字を中国文字と和様文字で書いてみましょう。

泉 和漢対比 縮小
(左が中国文字、右が和様文字です)
        
 いかがでしょうか。
 筆法そのものが全くといってよいほど違うことがわかると思います。

 中国文字は起筆(筆の打ち込み),送筆、収筆がはっきりと分けられたリズム(三折法といいます)で書かれているのに対し、和様文字は起筆から収筆まで途中で動きが休止することなく、滑らかな抑揚をもって書かれています。
 私の好きな唐の虞世南の楷書は若干、和様書の雰囲気を持っていますが、和様書ほどの柔らかさはなく、やはり用筆法が大きな違いがあります。

 その用筆法の違いの因ってきたる所以は、実は「子音文化」と「母音文化」の違いにあるのではないかというのが私の推論です。

 「桜」を子音を強調して「さ・く・ら」と1文字、1文字区切って発音するのと、母音を強調して「さア-くゥ-らア-」と連続として発音するのでは音感が全く違います。
 私には、その音感の違いが、一画一画、点画をはっきりさせようとする中国書と、点画を分断せずに一つの流れとして捉える和様書に表れているように思えるのです。

 これはあくまでも私の個人的な経験ですので確かな傍証にはならないと思いますが、若い頃、日本語のラジオ放送を聴きながら仮名文字の練習をしていても全く問題なく捗るのに、それがFENを聞きながらということになると、なぜか運筆の調子が狂うのを不思議に思った経験があります。
 これも子音脳と母音脳の違いが生み出す現象だったのかもしれません。

 和様書は「端正な字形」を求める余り、字形が定型化して意匠性や創作性に欠ける面があることはよく指摘されることですが、その柔らかく豊かな線質は正に日本という風土から生まれた独特なものであって、中国の書とは隔絶するものです。

 誤解無きよう申し添えますが、私は決して中国の書と日本の書の優劣を論じようとしているわけではありません。
 中国の書には中国の書の魅力が十分にあります。
 私は依頼があれば、バリバリの中国風の作品も喜んで書きますし、題材によっては、私から中国風の作品を薦めることも多々あります。
 ただ、日本の書は日本の書として自立したものでなければならないと思うのです。
 伝統的な和様書を踏まえながらも、現代の活字文化、デザイン文化の中で、しっかりと根を張った、そして確かな存在感のある「現代和様書」を作り出さなければならないと思うのです。

 微力ながら、私は自分なりの「現代和様書」をいろいろな作品を通じて提示させていただいておりますが、一人でも多くの書道家が、勇気を持って、そして気概を持ってそれぞれの「現代和様書」を模索し、探求し、世に問うべきだと思います。
 そういう方々と競い合って、日本の書道文化を復興させることができれば私の本望とするところです。

 角田忠信教授や竹村公太郎博士の研究によって示された「日本語の特殊性」を思うにつけ、更にその思いを強くした次第です。

                               以上



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